なぜみん伝芸か

日本にはとてつもない数の「みん伝芸」があります。
ご支援いただけると、それを「みんなのもの」にする番組を
継続することが出来ます。

私たちは「みん伝芸」として、大きく4つに区分しています。


A:伝統(伝承)芸能:誕生から長い期間と人の手を経て、洗練や様式化、時にプロ化され、現代に伝わる芸能。例えば神楽・舞楽・田楽・猿楽、歌舞伎、日本舞踊、能、狂言、人形浄瑠璃、民謡、琴・三味線・尺八などの邦楽、地歌、長歌、小唄・端歌、声明等々。

※一部民俗芸能·郷土芸能とかぶる

B:門付芸能:地域を訪れ、家の玄関先や門口で演じられる祝福の芸能や人のこと。萬歳、傀儡、厄祓い、獅子舞、鳥追、大黒舞、春駒、節季候、瞽女、ちょろけん、祭文語り、虚無僧、琵琶法師、歩き巫女、大神楽、大道芸等々。

※一部民俗芸能·郷土芸能とかぶる

C:演芸(大衆芸能):大衆の娯楽として舞台や寄席などの会場で行われる芸能。落語、講談、浪曲、漫才・コント、奇術・手品、大道芸等々。


D:民俗(民族)芸能・郷土芸能:地域住民の生活や祈願と結びついて生まれ伝承されてきた民間・アマチュアの芸能。農村の祭りや神社の行事という形で、そこに住む人々の生活、習俗、信仰と深く結びついたもの。例えば、阿波踊り、青森ねぶた祭り、鹿踊、牛深ハイヤ祭り、盆踊り、えんぶり、曳山、鼓笛隊等々。



これらは明確に分かれているわけでなく、ルーツを同じくしていたり、境界が曖昧だったりします。その数は、地域の数や寺社の数ほどあるとも言われ途轍もないものですが、中には国や自治体によって無形民俗文化財とされ、保護されているものも多数あります。



「無形」の文化財とは、建造物や美術工芸品など形として眼に見え、触ることができる「有形」文化財とは違い、祭りや地域行事·儀礼などの風俗慣習、踊りや唄などの芸能のように、人間による表現や動作、しきたりなど、瞬間的に行われたり、変化し続ける“形無き”文化のこと(郷土料理の製造技術のようなものも含む)を意味します。


また無形の文化財には「無形文化財」と「無形民俗文化財」との二種類があり、日本の歴史や芸術において価値が高いとみなされるもの、すなわち伝統芸能である歌舞伎·能狂言など専業の芸能や芸能者、演劇、音楽、工芸技術など、人間による技やその保持者·団体ーーつまり専業·プロフェッショナルとみなされるものが「無形文化財」、それとは逆に人々の生活に密着した慣習や芸能、技術などで、民間·アマチュアによって、各地域で伝承されているものが「無形民俗文化財」です。「無形文化財」として登録されているものは、約100件ほどですが、「無形民俗文化財」となると、膨大な数があります。


国·都道府県·市町村などの自治体が残すべきと言い、「文化財指定」しているものは約1万件、それ以外に各家庭や集落でひっそりと続いていたり、政教分離の関係から自治体が関与しないような未指定·無指定のものを入れると、その10倍もの数があるとも言われています。また同じく無形の民俗だと言える「民謡」に目を向けると、1987年(昭和62年)の調査によると、58000曲もの民謡が現存すると言われています。


「重要無形文化財」や「重要無形民俗文化財」として指定·登録された一部の有名な芸能は安泰に見えますが、そうでもなく、またそれ以外の多くのものは当然、現在、消滅の危機に瀕しているのです。


歴史を紐解いてみると、様々な「みん伝芸」は、共通して大きな二つの破壊的出来事に遭遇してきたことがわかります。それは1868年に起きた明治維新、そしてもう一つは1945年の終戦による日本社会構造の変化です。この二つの出来事がきっかけとなり消滅したものはたくさんあり、残りはしたものの、形が変わってしまったものもまた数多くあります。


そして現在、三つ目の出来事が同時多発的に起こっています。少子高年齢化、その他の娯楽の圧倒的増加、コロナ禍、そして無関心です。



高齢社会白書 2014によると、これからの50年間に人口が3分の2にまで減少すると言われています。そして2060年には国民の約2.5人に1人が65歳以上、4人に1人が70歳以上の高齢者になる。2023年の出生率(1人の女性が産む子どもの数の指標)は、「1.2」で、1947年に統計を取り出してから過去最低の数字です。


 古いものを記憶している方達は鬼籍に入り続け、それを担うべき子供たちの数はどんどん減っていくわけです。いかに古いものを正確にアーカイブし、伝承容易性や伝承機会を高めるかが鍵であることがわかります。 


また2019年末から2022年前半まで世界中を席捲したコロナ禍では、多くの芸能がダメージを受けました。高知県の統計では、県内の民俗芸能の約41%がコロナ後に中断・廃絶を余儀なくされました。上記のグラフでも、2019年から2021年までほとんど全てのみん伝芸の鑑賞者数が急激に低下していることがわかると思います。 


私たちはいったいどうするべきなのでしょうか?古いものを現代風に改善し、高過ぎる敷居を地面スレスレまで下げるべきなのでしょうか?


 「伝統」というものは遵守しなくてはならないと代々教えられています。もし変容させてしまったら、「伝統」ではなくなってしまうかもしれません。けれど、人々からそっぽをむかれてしまったならば歌舞伎や落語のようなものすら途絶えてしまう可能性もあります。そして、それは失われてしまえば、もはや二度と取り返しがつかないものでもあるのです。 


ーーもしチャンスがやってこないなら、ドアを作ればいい

かつて、アメリカのコメディアン、ミルトン・バールはそう言いました。

今の私たちには、10万以上もあるだろうみん伝芸の完璧なアーカイブを作る力はありません。たとえそれがあったとしても、ただ資料として残すだけでは、冷凍保存された種と同じように、みん伝芸は形だけ留めたまま死に絶えてしまうことでしょう。だから新しい「ドア」を作るべきだと私たちは考えます。

そのドアとは、一方通行ではなく、「相互接続」のためものであるべきです。すなわち、これまで無関係・無関心だった人が、みん伝芸へと接続するための「きっかけ」となるためのドアであり、同時にこれまでドアの向こうの狭い世界の中にとどまっていた担い手たちが外界を見渡せるようなドアなのです。

ドアができれば、さまざまな対話が起きるでしょう。それまでただ漠然と「保存」されてきたものに対し、無邪気で本質的な疑問がぶつけられもするでしょう。

人はなぜ歌うのか?なぜ舞うのか?なぜ踊るのか?そもそも民謡とはなにか?芸能とはなにか?そもそもなんの意味があり、なぜそれを守るべきなのか?

私たちはそういうことをさまざまな人々と対話してみたい。悩みや、問題やためらい、願望などをできるだけレアのまま吐露してもらいたい。そしてそれを見る人々と一緒になって、どうしたらいいか模索する。赤裸々にみんなの前に提示し、誰かの孤独なタスクから「みんなの共同課題」にしていきたい。そう考えるのです。

現在は「VUCAの時代(将来の予測が非常に困難な不安定な時代)」だと言われています。そういう中で、数百年、数千年と人から人によって伝えられてきた様々な「みん伝芸」には、改めて多くの可能性があると言えるでしょう。

ぜひともに新しいドアを作り上げていきましょう。

今後取り上げたいみん伝芸