If opportunity doesn't knock,  build a door.

もしチャンスがやってこないなら、ドアを作ればいい

「みんなの伝芸」は、「ドア」のようなものでありたいと考えています。


伝統/伝承芸能、郷土(民俗)芸能、門付芸能、大衆芸能などで括られる様々な芸能に接続するための「ドア」です。

敷居が高くて、高尚で、どこかとっつきづらいもの……多くの人が、「伝統」とか「芸能」に対し、そう感じていると思います。自分には無関係だと頭から避けていたり、どことなくネガティブなイメージを持っている人もいるでしょう。でも、本当はそうじゃないんじゃないか?というのが私たちの出発点です。

そうだとしたら、あまりにももったいない。本当はまったく真逆で、連綿と人から人へ伝えられてきたものには何かがある。それはとても重要な私たちの「ルーツ・根っこ」であり、今手放しちゃならないなにかなんじゃないかと思うのです。そこで、「みん伝芸」というありそうでなかった新しい言葉を作ってみました。

踊り、唄、祭り、路上の音楽も舞台の音楽も、一度「みん伝芸」とまとめてみる。それっぽいものも、一見それっぽくないカルチャーも、その言葉で置き換えてみる。そうすることで、周囲を囲んでいる高い壁の中に「ドア」ができるのではないか。そして、本来それが持っている何かミズミズしいものに接続可能になるのではないか?と私たちは思うのです。

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代表者挨拶

代表理事・映像作家
長岡 参

ぼくの仕事は映像を作ることなのですが、40の坂を越えたぐらいから、これからどんな映像をつくるんだろう?何を?なぜ?どうして?……という「?」がどんどんふくれあがってしまいました。

そんな時、偶然、俳優・小沢昭一さんの『私は河原乞食・考』というカビ臭い古本を手にしました。そこには、奇しくも、同じく(当時)40歳だという小沢さんの切実な言葉があった。

「俳優とは何ぞや、芸能とは何ぞやと、ことあらたに自問するのである。四十にして惑う、というわけか。……芸能はだれのためにあるのか。何のためにあるのか。…」

彼はそうして様々な(今ではこの上なく貴重なものとなった)芸能を探る旅に出たのでした。本来芸能とは、お高く、偉そうなものではなくて、ワイルドで、エロくて、くだらなくて、のほほんとしているものであり、同時に虐げられてきた人々の悲しい歴史でもあった。そんなことをどんどん小沢さんはディグっていったわけです。

さて、そこから55年も経った2024年の現在、いったいどれくらいのものがまだ残っているんでしょうか。あったとしても形骸化してるだけじゃつまらないし、ものたらない。嗚呼、、時代は途轍もなく変貌してきています。デジタル化、疫病、戦争、円の暴落、生活苦、そういうものがドッと押し寄せてきている。

けれど、そういう圧力が強くなればなるほど、なぜかぼくは「みん伝芸」の方に向かいたくなるのです。白塗りで踊る人とか、鬼やら動物やらのお面をつけて舞う人とか、意味がわからない古い唄を歌う人とか、三味線を弾いたり篠笛を吹いたりする人に逢いたくなる。遠くから聴こえる太鼓の音に浸りたくなる。何というか、そこに何か「現在の光景を越える瞬間」があるように思うからだと思います。ぼくにとったら、救いのようなものかもしれない。だからこのプロジェクトは、「映像がだれのためにあるのか、何のためのあるのか」という問いに対する、僕の切実な解答なのです。